シンチャオー皆さんグエン・ヨー(Nguyen Yo)です。私は3歳までダナンに住んでいて、父親の仕事の都合でそれ以来ずっと日本暮らしでした。母親はダナン出身のベトナム人、父親は東京出身の日本人という家庭環境で育ちました。見た目はベトナム人ですが中身はバリバリの日本人です。1年前程に生まれ故郷のダナンに引っ越して自分のルーツを見つけつつあります。下記は私の長い自己紹介です。よろしくお願いいたします。
順風満帆だった30代前半までの人生
理系の大学院を卒業後ゲームクリエイターとして就職し、プログラマーとして約10年間働きました。30歳を過ぎて仕事自体は順調だったのですが、何かが足りないというのを感じ始めていました。毎日埼玉の自宅と東京のオフィスとの往復、会社に行けばそれなりに楽しいし、仕事もやりがいがある。報酬もそれなりにもらっていました。ですが、何かが足りない、このままで本当に大丈夫?という不安が出始めたのが30歳を過ぎたころからでした。そのもやもやした気持ちが2年ほど続きました。
そして思い切って34歳の誕生日を目前に退職しました。退職した時には社内ではある程度の地位にいて役職は付いていなかったですが、10年のキャリアがあったので上司からの信頼も厚く、部下も慕ってくれていました。社内社外の人間関係も良好で、このまま係長、部長と出世街道を上りあがるのだと誰もが思っていた事でしょう。正直自分自身もそのようなキャリアパスで人生を進むのだとおもっていました。
Y氏との衝撃的な出会い
ところが、私の人生を変えたのは一人の旅人Y氏との出会いでした。Y氏は世界中を旅しながら絵を描いて生計を立てるアーティストでした。私が出会ったのは33歳の夏休みにベトナムへ帰国ついでに寄ったタイ・パタヤでした。
あの~君、日本人だよね?
あ、はいそうですけど。。。
やっぱり日本人だと思った、俺ってすぐわかっちゃんだよね。
今時間ある?もしよかったら近くのバーでいっぱいやらないか?おごるから。
はい、大丈夫です。
このような会話が続いて、恐る恐る私はこのY氏についていきました。行った先のバーとやらは、恐らくゴーゴーバーというのでしょうか、私にとっては奈落の果ての落ちぶれた西洋人が現地の女たちをあさりに行くようなバーでした。まるで絵にかいたように映画で出てくる、タイのゴーゴーバーでたむろするおっさん達がたむろするバー。まさにそのイメージです。そして、Y氏はここの常連らしいです。店員の女子たちと知り合いらしく、彼女達からはプロフェッサーと呼ばれていました。
ここの常連!すでにそれだけですごい貫禄です!しかもプロフェッサー!と思いつつ、なるべく平常心を保つように努めながら、Sanmiguelビールを注文しました。私は以前一度だけ親に連れられてタイに来たことがあるらしいのですが、その時はまだ3歳だったそうです。なのでタイの記憶は全くありません。何もわからないまま、このヒッピープロフェッサーおじさんとこんなバーで酒を飲むとは全く想像もしていなかったです。もうなるがままになれという開き直った気持ちで私はプロフェッサーY氏の話に耳を傾けました。すると、この方実はすごい人だったんです。生粋のアーティストで、海外から招待されてアートの制作をしているとの事です。はじめは半信半疑で聞いていたのですが、手さげ紙袋に入っていた中身を取り出し、今日制作したという作品を見せてくれました。
Y氏の作品から衝撃を受ける
私はその作品を見て衝撃を受けました。すごいの何のって….。抽象的な絵で作風はまるでピカソ。私は残念ながらアートに関しては全く疎いですが、その作品をみて絵からみなぎるパワーというのを初めて感じる事が出来ました。勝手ながらモチーフはエロスと太陽だと勝手に確信しました。赤が太陽で、そこからみなぎるほどのエネルギーを発射していている。その熱量と光の形状がエロスを表現しています。恐らくこれはエロスといっても性欲とかではなく、それを超越した人間の欲望、いや、人類全ての欲望の塊のようなものすごいパワーを物語っていました。
私は、その絵の前で数分間釘付けになってしまい、なんてこった。という感情が沸き上がってきました。人類の欲望がこんな形でありのままに表現されているなんて。これはものすごい表現だなあと。良い悪いは別にして、ありのままの人類の欲望を一つのパワーとしてとらえて、それを形にしてしまう。。。我に返って、湧き出た思いは、このY氏は一体何者なのか。なぜここにいるのか。そして、なぜ私をゴーゴーバーに誘ってビールを一緒に飲もうと提案したのか。なぞは深まるばかりです。
次にY氏が語った言葉が私の心に焼き付きました。人生は短いんだ、悔いのない生き方をし他方がよい。俺は今まで好きなように生きてきたし、これからもそうするつもりだ。周りの人がどう批評しようが構わない。俺が好きな事をとことん突き詰めて、それが何らかの形として社会にでて少しでも一部の人にでも認められれば良いじゃないか。それで俺は幸せだ。おれは周りの皆を幸せにしようとか大それたことは考えてないよ。そんな大した人間じゃないから。アトリエで作品を制作している以外は、ここのゴーゴーバーで女のケツを眺めているのがいいんだよ。それで俺は十分幸せだよ。君はいままでどんな人生を歩んできたかはお俺は知らないけど、この異国の地で出会ったんだ。恐らく何らかの縁だろう、楽しく飲もうぜ。
自分のこれまでの人生を振り返る
Y氏の言葉を聞いて、私は今まで34年間の人生を無駄に生きてきた感じがしました。小学校から大学院まで行って、その後就職。皆と同じように比較的安定した名の通った企業を狙った。思い通りに就職し、毎日会社の敷いてくれたレールに乗っかりドッコンドッコンと進むだけの列車。月曜日から金曜日まで家会社の往復3時間を費やし、残業する日はコンビニで弁当を買って缶ビールを1,2缶飲んですぐに寝る日々。その繰り返し。週末は平日の疲れがたまって土曜日はアパートの掃除と洗濯でたいてい1日が終わり、日曜日にやっと疲れが取れてくるが次の日は仕事で5時半起きなので無理はせず、出かけるとしても遠出せず、近場の河川敷を自転車で走るかジョギング程度。そして、夜は10時半までには寝るというパターン。これを就職してから以来ずっと10年間続けてきた。この生活に何も疑問を感じていなかったし、それが当たり前だった。むしろ幸せだとも感じていた。確かに安定した給与を毎月もらえて、僅かではあるが年2回ボーナスももらえる。この安定感は何が何でも崩せないと信じてきた。
Y氏の話を聞いて、今までのレールに敷かれて進んできたのが一体なんだったのか?という疑問が私の心のなかで沸々と沸き始めてきたのだ。働くってなんだ?自分のため?会社のため?3時間の通勤時間をかけて満員電車に乗ってオフィスに到着した時には疲れている自分を鼓舞するためにコーヒーを飲んで、またはコーヒーでもダメな時には午後にはエナジードリンクを飲んで自分のテンションを上げて夕方まで頑張る。たった手取り30万ちょいのためにそれをなんの疑問もなく10年続けてきたのだ。その時は頑張っている自分を誇らしげに思っていた。だが、今となっては時間体力労力を無駄にしてきていなかったか?そして、レールに敷かれて突き進む、その先には何があるのか?定年まで勤め上げた先輩たちを見ていると、当時は立派に思えた。だが、言い換えればそれってレールに敷かれて40年何も考えずに我慢してきただけじゃないか?という疑問で頭の中がいっぱいになりました。
そして、俺にはY氏のように作品となって残るものが何もない。人を感動させ奮い立たせるようなものが何もない。あれだけ一生懸命にやってきたのに、残ったのは若干の貯金と経歴だけ。経歴といっても他の会社では本当に役に立つのかも分からない。そんな思いが私の頭の中をぐるぐると駆け巡りだしました。その日は結局一睡も寝付けずに朝を迎えました。
そう、1枚の絵との出合いが人生を変えたのです!一人の人との出会いが私の人生を変えたのです。
退職
日本へ帰国後すぐに退職を決めました。もう私には退屈な時間を過ごしている余裕はないのだ、という強迫観念のようなものに取りつかれていました。引継ぎ期間の1ヶ月を無事に終えて、今年の4月にちょうど10年間のサラリーマン生活と決別しました。
自分のルーツ探し始まる
そして、退職後は私の生まれ故郷のダナンへ帰国しました。今まだ帰国してから半年弱ですが、ベトナムの逆カルチャーショックに驚く毎日です。私がベトナムにいたのは4歳までで、ベトナムにいた記憶は薄く、言葉もほとんど忘れてしまいました。なので、全く外国にいる感覚です。見た目はベトナム人でも中身は日本人なのですから。今でもほとんどベトナム語は話せません。それでも、今住んでいるアパートの近所の住人は暖かく迎え入れてくれています。最初はベトナム語でにゃーにゃーと話しかけられていたのですが、ぽっかーんとした顔をしているので、みんなおかしい様子でした。ですが、最近は私はベトナム人の外観をした日本人なのだという扱いをしてくれています。徐々に現地の生活に慣れるようにと言葉の習得を考えていますが、大人になってからの言語習得は耳が固まってしまっているのでなかなか難しいです。ですが、今のところ異文化を楽しんで、プチカルチャーショックも遭遇する毎日です。
Kenちゃんとの出会い
当サイトの運営者のKenちゃんとは日本で知り合いました。お互いにルーツはダナンということもあり、意気投合。Kenちゃんは2年前にベトナムへ帰国しましたが、私は今年帰国。一緒に何かできないかなーということで、まずはKenちゃんのブログのお手伝いをすることになりました。お互いに何か形に残る何かをしたいというのが共通点でした。Y氏のようなけた外れでなくてもよいのです。自分がやりたいと思うこと得意だと思うことを突き詰めて、それで他の人が喜んでくれればラッキー。そうでなくても、自分たちがまずは満足する人生を送るというのがKenちゃんと私の共通の目標です。
まだ当サイトもオープンしたばかりですが、日々手を加えて大事に育てたいと思っています。ダナンの良いところだけでなく、悪いところも隠さずに情報発信していきたいと思っています。まだ若造の二人ですが、皆さんどうぞよろしくお願いいたします。
以上グエンの自己紹介でした。