ホイアンの日本橋

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UNESCOとNHKによる共同制作ビデオ

シンチャオーこんにちわ~、お元気ですか!日本に一時帰国中のグエンちゃんです。今回ご紹介するのはホイアンの日本橋です。え、日本橋ってベトナムもあるの?と思われますが、地名ではなく日本の橋=日本橋というのが本当にあるのです。今回の記事では、この日本橋の起源からお話します。ホイアンに行く際の予備知識として知っておくと実際に行ったときの感動が倍増します。それではどうぞー。

日本橋は2つで構成

ホイアンのブリッジ・パゴダには、橋と寺院の2つの部分があります。そのため、ベトナム語では「Chua Cau」(「Chua」=「寺院」、「Cau」=「橋」)と呼ばれています。

橋はトゥー・ボン川に最初に建設され、寺院はその60年後に橋の北側に建設されました。この記念碑を訪れることを決めたら、この2つを見逃さないでください。

橋の中からみた様子
橋に併設されている寺院

橋の起源

ホイアンは16世紀から17世紀にかけて、日本や中国などの国との貿易で栄えた港町でした。その中でも日本との貿易は盛んで、多くの日本人がホイアンに住んでいました。

当時の日本は朱印船貿易を行っており、現地に住み着いた日本人がコニュニティーを作っていたようです。16世紀というと日本はまだ戦国時代末期、まさに豊臣秀吉の時代で朝鮮出兵により中国(当時の明)と国交を断絶していました。ところが、第三国を拠点に活動している日本人商人たちはそこを拠点として中国の承認と貿易を行いました。橋を作った一つの目的はホイアンの中国人コニュニティーと日本を行き来するためとも推測されます。そして、この日本人コニュニティーの人たちが出資して作ったのが日本橋です。

ホイアンの日本橋は、1593年に日本人によって初めの形が建設されたとされています。その後、1653年に橋の中腹にお寺の部分が追加されたと言われています。

橋の名前は、1719年にグエン朝の王が論語から引用した「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」に由来します。橋は申年に始まり戌年に完成したとされ、そのために橋の両端には申と戌の像があります。1633年に日本が鎖国を実施したことで、ほとんどの日本人はホイアンから引き揚げました。その後、橋は中国人やベトナム人によって修復や改築され、現在の姿になりました

橋の中央部にはカウ寺という祠があります。ここでは干支のコインが売られていたり、かつての日本橋の写真も展示されています。また、橋にはナマズを退治するために建てられたという伝説もあります。

20万ドン紙幣に印刷

日本橋はベトナム初の世界文化遺産に登録されたホイアン旧市街の象徴的な観光スポットです。ベトナム紙幣の2万ドン札にも描かれています。現在でも市民が日常生活に利用しており、古き良き時代を感じさせてくれます。

20K札に印刷されているのはこの橋

現在は修復中(2024/6/9)

2023年9月下旬に私が行った際には、残念ながら日本橋は修復中で外から一部しか見れませんでした。調べたところこの修復工事は日本のJICAとの共同プロジェクトとして2022年12月から行われているようです。総工事費が203億ドンのプロジェクトでホイアン市人民委員会とJICAが共同出資しています。約1年後に完了予定となっていました。ですので、今年(2023年)の末には工事が完了する見込みです。完了時には、建物の基礎、木材フレーム、屋根、電気系統の改修を含む重要な項目に重点を置き、3Dデジタル化された記念碑モデルが設置さえる予定です。早く再び橋が一般公開されて見れるようになってほしいと思います。

修復作業のその後

このブログをみて日本橋の修復作業が終わって公開されているか気になっている人が多いようです。ですので、本日(2024/6/9)現地まで確認に行ってきました!
そして、残念ながら工事は終わっていませんでした。完成予定を聞いたところ8月との事でした。しかし、既に半年も遅れているのであまりあてにはできません。8月になったらまた現地調査に行きたいと思います。

修復工事の概要
修復工事の概要
橋全体を覆うように屋根がついて、修復工事はこの中で行われています。
修復工事は柵の中で粛々と行われていました
貴重な修復物の上にヘルメットが置いてあるのが何ともベトナムらしい

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