15分で知るフエの歴史

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フエは、ベトナム中部にある港町で、世界遺産に登録されている「フエの建造物群」があります。フエの歴史は、古代から現代までベトナムの激動の地といえるほど、多くの王朝や外国勢力と関わってきました。

フエの起源

フエの起源ははっきりとは分かりませんが、15世紀までは現在のベトナム北部の大越と南部のチャンパの国境に位置する小さな町でした。16世紀からは阮氏(グエン氏)という権力者がここを支配するようになり、ポルトガルやオランダなどのヨーロッパ諸国と貿易を行いました。また、中国や日本とも貿易を行い、ホイアンには日本人街や来遠橋(日本橋)などが形成されました。

グエン王朝支配下時代

皇帝カイディン1885-1925、グエン王朝第12皇帝

フエの歴史と密接に関連するグエン王朝に関して少し言及します。グエン王朝は、1802年に阮福暎(グエン・フック・アイン)がベトナム最後の王朝として建てた王朝です。

グエン王朝は、フエを都として位置づけ、壮麗な建築物を建設しました。特に有名なのが、星型の皇城と華麗な皇宮です。これらの建築物には、西洋の技術が取り入れられており、当時のベトナムの文化と外来の要素が融合しています。

グエン王朝は阮氏(グエン氏)の統治の下で続いており、13代にわたって王が継承されました。しかし、その間にはフランスや清などの外国勢力との対立や戦争がありました。

フランス支配下時代

フランスは1887年にベトナムやカンボジアを合わせてフランス領インドシナ連邦を成立させました。フエはその中の一部となり、フランスの植民地支配を受けることになりました。

フランス支配下のベトナムは、19世紀末から20世紀初頭の時期におけるベトナムの歴史の一部です。1883年にフランスによって占領され、保護国とされました。

フランスはベトナムを植民地として統治し、その間にベトナムはフランスの文化や制度の影響を受けました。特にフランスの教育システムやキリスト教の布教などが行われました。

フランス支配下では、ベトナム人の大部分は農奴として働かされ、またフランス人入植者が増加しました。また、フランスはベトナムの天然資源を利用して経済開発を進め、鉄道や道路などのインフラストラクチャーも整備されました。また、フランスはフエの歴史的建造物を破壊したり、自分たちの建築様式に変えたりしました。例えば、皇宮の一部を取り壊して、フランス式の庭園や建物を造ったり、旧市街にフランス風の建物や通りを作ったりしました。

フランスはベトナム人に対して差別的な扱いもしました。ベトナム人は教育や就職などで不利な立場に置かれ、貧困や飢餓に苦しむ人々が多くなりました。

こういった不当なフランス支配に対して、ベトナム人は独立運動を起こしました5。1904年からはファン・ボイ・チャウという指導者が中心となって、日本や中国などの外国から支援を受けて反乱を起こしましたが、失敗に終わりました6。その後もベトナム共産党やベトミンなどの組織が抵抗を続けましたが、第二次世界大戦まではフランスの支配は揺るがなかったのです。

しかし、ベトナム人の中にはフランスに対して反抗する動きもありました。特に20世紀初頭にはベトナム国民党(ヴィエン・ドク・クオック・ディーン)やインドシナ共産党(後のベトナム労働党)などが結成され、独立運動が活発化しました。

日本支配下時代

日本は1940年9月にベトナム北部に進駐し、フランス領インドシナ連邦の首都であるハノイを占領しました。その後、南部や中部にも進出し、フランスと協定を結んで共同統治を行いました。しかし、日本は実質的にベトナムの支配権を握り、フランスの影響力を弱めました。日本はベトナムから米や石油などの資源を徴発し、軍事基地や鉄道などのインフラを建設しました。また、日本はベトナム人に対して「大東亜共栄圏」の一員として協力を求め、反仏・反英・反米のプロパガンダを行いました。

しかし、日本支配下のベトナムでは、食糧不足やインフレーションなどの経済的困難が深刻化しました。特に1944年から1945年にかけては、干ばつや洪水などの自然災害により大飢饉が発生し、約200万人が餓死するという惨事が起こりました。このような状況の中で、ベトナム人の間では独立運動が高まりました。特に共産主義者であるホー・チ・ミンが率いるベトミン(ベトナム独立同盟会)は、中国やアメリカなどから支援を受けて武装闘争を展開しました。

ベトナム独立

1945年9月2日:ベトナム民主共和国の独立宣言。第二次世界大戦が終わった直後、ベトナム独立同盟(ベトミン)を率いるホー・チ・ミンがハノイで独立宣言を行いました12。このとき、フランスはベトナムの独立を認めませんでした。

1954年7月21日:ジュネーヴ協定による独立承認。フランスとベトミンの間で起こった第一次インドシナ戦争が終結し、ジュネーヴで和平会議が開かれました12。この会議で、フランスはベトナムの独立を承認しましたが、国土は北緯17度線で南北に分割されました12。北部は社会主義のベトナム民主共和国(北ベトナム)、南部は資本主義のベトナム国(南ベトナム)となりました。

1976年7月2日:南北統一と改称。アメリカが支援する南ベトナムと北ベトナムの間で起こった第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)が終結し、南ベトナムの政権が崩壊しました12。その後、北ベトナムは南ベトナムを併合し、現在のベトナム社会主義共和国と改称しました。

現在のフエ

1993年には、「フエの建造物群」としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。現在では、多くの観光客が訪れる人気のスポットです。

フエの建造物群は、その美しさと歴史的な重要性から、世界遺産に登録されています。この建造物群には、フエ城や皇宮、儀式の行われる宮殿、仏教寺院などが含まれています。フエの建築物は、独特なデザインや装飾を特徴としており、王朝時代のベトナムの文化と歴史を物語っています。

フエには、その他にも見どころがたくさんあります。たとえば、ドラゴンボートレースやフエの料理など、地元の文化や伝統を体験することができます。また、フエは美しい自然環境にも恵まれており、滝や山々、川などがあります。これらの自然の風景は、訪れる人々に癒しとリラックスを提供します。

フエはベトナムの歴史的な都市であり、多くの観光客が訪れる人気のある観光地です。フエの建造物や文化は、現代のベトナムにおいても重要な存在であり、地元の人々にとっても誇りです。フエを訪れる旅行者は、その美しい景観と豊かな歴史を堪能することができるでしょう。

フエの建造物群は、ベトナムの伝統や文化を理解する上で重要な役割を果たしています。その壮大な建築や装飾は、過去の時代の栄光と歴史を伝えています。フエは、ベトナムの魅力的な都市であり、多くの人々にとって特別な場所となっています。

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